安らぎ和みの庭 しゃんぐりら
 
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南城市のオアシス『しゃんぐりら』を訪ねる
三木 健 
 大の「人間好き」のご夫婦
 亜熱帯の緑滴る木々、それとコントラスをなす巨大な琉球石灰岩。その彼方に見え隠れするコバルトブルーの海。水平線に浮かぶ神の島・久高。3000坪の敷地に咲きほこる花々。そこはまさに楽園(シャングリラ)と呼ぶにふさわしい空間だ。
  国道331号線を玉城から知念に向かって車を走らせると、右手に県営知念団地がある。それを右に少し入った左手に「しゃんぐりら」のしゃれた看板が目に付く。ただ、うっかりすると、県営団地を通りすごしてしまうことがある。車一台がやっと通れるくらいの木立のアプローチを潜り抜けると、少し視界が開けてくる。駐車場である。車を降りると、巨大な琉球石灰岩が迎えてくれる。
  車の音を聞きつけて、「や〜、いらっしゃい」と亭主の、いや「庭主」の安和朝忠さんが出迎える。「庭主」とは、名刺に刷り込まれた安和さんの肩書き。うまく付けたものである。名刺といえば、それに刷り込んだ「しゃんぐりら」のキャッチフレーズに「安らぎ和みの庭」とある。さり気なく「安和」の二文字に引っ掛けたあたり、ギャグの域を通り越して、心憎い。
 木立に囲まれた住宅の玄関で恵子夫人が「どうぞ、どうぞ」とにこやかに誘う。お二人とも大の「人間好き」である。私はこれまでにも、友人知人を連れて幾度となく訪れているが、一度たりともいやな思いをしたことがない。それは庭を愛し、自然を愛し、人間を愛する二人の自然な姿である。

  景観に配慮した建物
  建物は木造の平屋だが、地形を壊さず、斜面を活かして三つのフロアが段差で結ばれ変化を付けている。私は時々奥武島からシーカヤックに乗って、知念・玉城の海を楽しんでいるが、そこからの眺めは、陸上では気付かないことを、教えてくれる。近年は無神経な高層アパートの建設で、美しい丘陵地帯の稜線が崩れたり、コンクリートの肌がむき出しになっていたりして、せっかくの景観が損なわれている。その点「しゃんぐりら」は、森の中に吸い込まれるように作られていて、外からの景観にも配慮がなされている。
  東に面した眺望のいいところが客間である。そこは客との談話室であり、酒を酌み交わすホームバーでもある。円いテーブルに、客の絶えることがない。
 その一段上の間が、ちょっとしたギャラリーになっていて、安和さんが蒐集した陶器や絵画が展示されている。彼は沖縄県庁の役人時代に、台湾で沖縄県台北事務所の所長をしていたことがあり、暇を見つけては骨董屋をめぐり、唐三彩などの珍品を手に入れている。また絵画にも造詣が深く、県内外の作家の油絵を買い集めて収蔵している。
  一番奥のフロアがプライベートなスペースである。この住宅は、建築家・宇栄原譲氏の設計である。彼は長年、沖縄型住宅の研究をしてきた人で、実は浦添の私の家も彼の設計である。そんな縁もあって、私にはより親しみがわく。

 不思議な「島石」の魅力
 少し落ち着いたところで、あらためて庭を散策してみる。大きく分けて住宅をはさんで西側のエリアと東側のエリアとに分かれるが、西側は琉球石灰岩がメインで、東は樹木や草花が主役である。もともとこの一帯は、ジャングルだったという。それを数年前に手に入れ、残すところは残しながら、仕事の合間をみてコツコツと作り上げてきたのである。
 西のエリアでは、岩石をうまく活かして遊歩道をめぐらし、さながら深山幽谷を歩く感がある。現に昔の風葬墓の跡などもあったりして、ちょっとしたスリルさえ味わえる。岩にはクロツグやシダ,オオタニワタリなどがはりつき、いっそう渓谷の感じを出している。巨岩の間の遊歩道は、さながら迷路のようだ。岩の表側と裏側を巧みに活かして歩道を取り付けている。
 いつぞや、中国でさほど広くもない庭に岩や塀を築き、遊歩道をまるですごろくの迷路のようめぐらし、実物より広く見せようと工夫をこらした庭園があったが、これはあまりに人工的で、好きにはなれなかった。それに比べると、ここは自然でいい。
 俗に「島石」とも呼ばれる琉球石灰岩は、文字通りそれがそこに在るだけで、「島」や「琉球」を感じさせるから、不思議な石である。それも沖縄本島の南部に多く、南部の景観作りには欠かせないものである。
  昔から琉球庭園にも島石が使われてきた。これから造られる庭園や公共施設にも、大いに活用するといい。いまも知念・玉城の古い集落に、島石で作られた村ジーサーを見かけることがあるが、もっと増やしていくと村のアクセントになり、景観作りに寄与するのではないか。
  玉城にある武村石材の話によると、近年の沖縄ブームに乗って、本土の方からも島石の引き合いがあるそうだ。それも個人の住宅建築というから、よほどこだわりを持った人なのか。うかうかすると沖縄の島石は、みんな本土に持っていかれかねない。

 絵心と遊び心から生まれた庭園
 話がスージグヮーにそれたが「しゃんぐりら」に戻ろう。
 西と東のエリアの中間に住宅があることは先に述べたが、住宅の前には池がある。そこには水生のイモリがたくさんいて、それこそ「野性の自然」が生きているといった感じである。池の真ん中あたりに中島があり、そこで河童が2匹酒を酌み交わしている。酒好きの庭主の遊び心である。このほかにも庭のところどころに、シーサーがあったり、甕が転がっていたりする。
 東のエリアは、庭師・安和のセンスが光っている庭である。岩の上から陽光を存分に受けて咲きこぼれるブーゲンビレアが、まるで油絵のようだ。さり気ない石畳、そそと咲く南国の草花。一見さり気ないようだが、その一つ一つが「ああでもない」「こうでもない」と試行錯誤を重ねながら、庭主によって植えられたものなのだ。
 庭主曰く「庭造りは、絵を描くのと同じですよ」と。しかり、「しゃんぐりら」は、庭主の絵心と、遊び心が作り出した作品である。一日何時間でも庭に出て草木と対話をする。それを無上の喜びとする気持ちがなければ、出来ることではない。

 「庭園哲学」
 さらに共感するのは、その喜びを独り占めしない哲学だ。再び庭主曰く「私は天からこの庭の管理を任されている管理人に過ぎない」と。土地を独占したいという欲からではなく,みんなで有効に楽しく活用しようという共生の発想である。定年前から、退職後の自らの生き方、特に社会的な貢献を念頭に、この庭造りに取り組んできた。さればこそ、この庭を訪れる客人を、いつも快く受け入れ、共に庭を楽しむことが出来るのである。それを「庭園哲学」とでも言おうか。私はこの心こそが、真の「楽園」ではないか、と思うのである。
(2007・8・10、オキネシア・ハウス主人)